昭和五十六年二月四日 朝の御理解


御理解第二十六節
 金光大神は形が無うなったら来て呉れと云ふ所へ行ってやる


 金光大神のお取次をどこへ居っても頂く事が出けるという事だと思うですね、金光様と唱えた所に金光大神の働きを受ける事が出けると簡単に云えばそうですけれども、そこには来て頂く者の心がまえ云うなら真でならなければならん、又は一心でならなければならんという事ですよね。金光大神はまあ簡単に「来てくれら云うやどこにでん行ってやるぞ」まあ云うておられるのですから来てもらう方の側として、私共としてはそこに一心を持って又は真をもってどうぞという内容があって金光様でならなきあならんですよ。ねえ。
 私は今朝方からこういうお夢を頂いた。私が両親をはじめ大坪家の霊様達、それから親教会の初代、二代の霊祭達に今日は合楽で運動会がございます。だから自動車を迎えにやりますから、お出で頂きますようにお準備をしておいで下さいというておるお夢でした。
 例ばなら両親にも喜んでもらいたい。御先祖にも喜んで、まあ運動会ですから、面白い思いをしてもらいたい。子供達や孫達がまあ走ったりまあ日頃の何というですか、鍛えた運動を披露する会なんですから、勿論助けられた初代、育てられた二代というような私が申しますようにそういういうならば初代先代当りの御霊様にも喜んで頂きたい、為に今日の御理解じあないけれども来て下さいといってるわけです。
 けれどもそこには礼をつくしてある。どうぞ今日は合楽で運動会がございますのでお出で下さい車を迎えにやりますからこれが真だと私は思うですね、来てくれというからにはそういういわれば内容又は信心があっての来てくれであり金光様でなきやならんと思う。
 皆さんが寒修業を一月間一生懸命云うならば稽古をなさった。そしてそれをまあどれ位の力がついたか、いうならば今日のこの運動会と思うたらいゝのじあないでしようかどの位に技を又は技を体得し得たか、分かったかと勿論運動会というのはその技をあらそうのですけれども私は私が頂いた運動会というのは一日間の間にどういう信心を体得したか信心を頂くには又おかげを受けるにはこういう構し、こういう態度、こういう姿勢がいるんだという所を皆さんは稽古なさった、いわゆるおかげの受けもの作りをなさる修行でふあったという事なんです。
 今日は最後の修行御礼会に御本部から偉い先生にお出でを頂いております。お話を只今から頂くわけですけれども、ただ頂くだけではなくて、その一日間の修行によって頂く構え、例は百のお話をして下さっておってもそれを()しか頂けない人もあるでしよう。半分しか頂けない人もあるでしよう。むしろ先生がお話をなさったいうなら言外の言までも悟らせてもらい分らせてもうろうて自分の信心の足しにしていけれる人もあるでせう。
 いうならそういう意味にしての運動会だと自分の頂く受ける心構え、姿勢がどのようなふうに出せたかという事を確めたいと思います。只今、早速先生のお話を頂く事になりますから、そういう皆さん今日は合楽の運動会に各々参加しておるというような気持ちで一つお話をしっかり頂いてもらいたい。そしてなおかつ又不可解な事や分らない事等がございましたら、その後に又あの先生を囲んでお話を承るそうですからその時に質疑をあるならばそれに応答して下さる事になっとりますのでどうぞそのおつもりで頂いて下さい。
       どうぞ